札幌高等裁判所 昭和59年(う)64号 判決
1 被告人は,酪農を経営する開拓農家の次男であるが,本件当時家業の後継者として農業協同組合からの借金3,000万円(毎月の返済50万円)を返済する責務を負わされ,サラ金から借入れして返済するようなこともあり,経済的苦境に立たされていた。
被告人は,現金収入を図るため,昭和56年12月から中標津町でマンションを借り,書店々員,パチンコ店々員等をして働いていた。
2 ところで,被告人は,婚約者として肉体関係もある女性との交際がありながら,昭和54年夏ころから,本件被害者剣持元子と知り合い,昭和56年12月ころから同女とも情交関係を持つようになった。しかも,被告人は,昭和57年12月7日ころ,同女から預かったキャッシュカードを使用して48万円借り受けたのをはじめとして,同月13日,被告人を信頼した同女から,預金通帳の記入を依頼されて,キャッシュカードと共に,同女の預金通帳を預かった際,同女の定期預金を担保に無断で90万円を引き降ろし,同月17日には,同女のボーナスが預金されているのを目当てにして,更に30万円を引き降ろし,いずれもサラ金や農協への支払に充てた。
3 被告人は,元子から借金をするようになってから,特に同女から頻繁にデートの誘いを受け,これに応えるのが次第に疎ましく感ぜられるようになって来たので,前同日夕方,同女からデートの誘いを受けた際これを断ったところ,同女が「人にお金を借りるときだけ会ってくれと言って,調子がいい。それじゃ今までのこと彼女に全部言ってやる。私との関係を全部言ってやる。」などと怒り出したので,「近いうちに会うべ。」などと取り繕ってなだめたものの,被告人との関係を婚約者に暴露するとの言葉に驚かされると同時に,預金の無断引き出しが発覚するのではないかという恐れにもとらわれ,追い詰められた気持ちになり,同女に対する憎しみが一気に高まり,その日勤務先のパチンコ店で仕事中,同女を殺害するのもやむを得ないと考え,同女に駆け落ちを誘い,これに応じたところで遺書めいた手紙を書かせた上,焼身自殺や排ガス自殺を装い殺害する方法をとることにし,翌18日,切手,便せんなどを買い求め,前から持っていた事務用せんと共に,自分の使用している普通乗用自動車に入れて準備した。
4 被告人は,同月20日夕方勤務先において,元子からデートの誘いの電話を受けて会うことにし,その機会にガソリンを使用して同女を焼殺することにし,勤務先の休憩時間を利用して,自宅からガソリン入りのポリ容器を自動車に積み込んで勤務先に戻り,同日午後9時45分ころ勤務を終えた後,自動車を運転して同女との待合わせ駐車場に赴くと,既に元子が自分の普通乗用自動車の中で待っていた。被告人は,自車を付近の商店のそばに駐車してから,同女の自動車の助手席に乗り込み,同女と肉体関係をした後,雑談を交わしているうち,同女が被告人に転職を勧めた上一緒に他の地に行ってもよいようなことを言い出したので,殺害計画を実行するのに願ってもない機会が到来したと思い,それでは駆け落ちしようと持ちかけ,自車からあらかじめ用意しておいた封筒,事務用せんなどを取ってきて,同女に両親あての遺書とも駆け落ちの書き置きともとれる手紙と勤務先への退職願を書かせ,被告人自身も元子を信用させるために適当に手紙を書いた。そして,被告人は元子の書いた手紙と退職願を近くのポストに投函し,自分の書いた手紙は破り捨てて,同女の待っている自動車に戻った。被告人は,同女を仮眠させ,そのすきに車内にガソリンをまいて焼殺しようと決意し,少し寝ようと持ちかけ,自分は後部座席に移り,同女が眠りに落ちるのを見計らって,ガソリンを取りに行くため車外に出ようとし,同女が目覚めると,小便をしてくるなどと偽って降車し,しばらく自分の自動車内で同女が熟睡するころ合いを待ち,同日午後10時45分ころ,ガソリン入りポリ容器とマッチを手に持ち,同女の自動車に近づき,同女に声をかけて熟睡しているのを確認した上,後部座席に乗り込み,ポリ容器から後部座席,その足元,運転席の背もたれなどにガソリン約6リットルをまき,マッチで点火して同車を炎上させ,間もなく同車内で同女を焼死させるに至らしめた。
5 以上の事実関係を基礎にして考察すると,被告人は,自ら招いた本件の被害者剣持元子との間の男女関係,金銭関係のもつれを一挙に自分本位に解決しようと図り,十分な計画や準備を経て,同女の殺害の実行に及んだものであり,犯行の状況を見ると,同女の話に乗るかのように見せて,同女の信頼を逆手にとって遺書類似の書面や退職願を書かせ,これらを発送して自殺を偽装した上,被告人の心を得たと思って自動車内で眠り込んでいる同女の周辺に,かねて用意のガソリンをまいて点火し,一瞬のうちに車内を火の海として同女を焼き殺しており,冷酷かつ卑劣にして残忍な犯行というほかはない。同女は,男女交際の面で放縦なところがあったとはいえ,明朗,素直な性格の持ち主で,保母の仕事に熱心に取り組み,家庭では両親や祖母の愛を集めるごく普通の若い女性であったが,被告人の偽りの愛を信じたがために生身のまま焼き殺され,見るも無残な死体となり果ててしまったのであり,同女の遺族は悲嘆や無念さを隠そうとせず,昭和58年3月ころ被告人の両親から提供された弔慰金30万円を受け入れなかったほか,当審係属中なされた同女の預金168万円の弁償の申し出もはねつけ,今なお被告人に対する極刑を望んでいる状態にある。本件は,焼殺というまれに見る残忍な態様の犯行であるが,それが北海道内でも過疎といえる地域で敢行されたため,近隣社会に与えた衝撃の程度も一段と大きいものがあったとうかがうことができる。
他方において,被告人は早くから家業の酪農経営の担い手となり,多額の負債の整理返済に苦労し続けていたものであり,このことが同女との仲を複雑化させて本件の遠因となっていること,被告人の側の方に責められるべき点は多いといえるにしても,同女は被告人に婚約者のあることを知りながら,被告人と性関係を含む交際を続け,本件直前には,金を融通したことの優位を利用して被告人に対しデートや肉体関係を度重ねて迫り,結果として被告人の気持ちを追い詰めたこと,被告人は,本件犯行に際し自らも火傷を負い,これが端緒となって約2か月後に逮捕され,その後すぐに捜査官に対し犯行を自白し,原審第1回公判までこれを維持し,同第2回公判から心中崩れの趣旨の否認に転じたけれども,当審公判では,捜査官に対する自白に間違いがないとし,原審で事実を争うようになったのは同房者の示唆によるものであった旨弁明するに至っていること,被告人の両親や兄弟が同女の遺族を弔問したり,前記のとおり弔慰金を提供し,同女の預金の弁償を申し出るなどして,被害感情の緩和に努力していること,被告人はこれまで何らの前科前歴なく,いまだ若年の身であることなど,被告人に有利な情状も見いだされる。
そして,以上のような本件をめぐる諸般の情状を総合勘案し,同種事犯に対する量刑例をも比較検討するとき,情において忍び難いものがあるが,原判決の量刑がその時点で重過ぎて不当であったと言えないのはもとより,現時点においてもこれを破棄しなければ明らかに正義に反するほどのものは認められない。論旨は理由がない。